明治34年 | 上下水道敷設が提唱される。(長岡町)…財政の関係で実現に至らず。 | |
明治39年 | 長岡市制施行 人口33,702人,世帯数6,302世帯(長岡町から長岡市になる) | |
大正 8年 |
第三代市長に豊島 愿(ゲン)氏就任(大正15年11月まで在任) 在職中は水道建設について精力的に尽力された。 |
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大正11年 |
上水道は中島鋭治工学博士、下水道は鶴見一之工学博士に設計を依頼。 設計工事費 上水道193万円 下水道81万6千円 |
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大正11年7月 | 上下水道事業 市議会提案可決される。 | |
大正12年4月 | 上水道事業創設認可おりる。 | |
大正13年1月 | 上水道創設工事着手 中島浄水場配水塔建設工事着手(大正15年完成) | |
大正15年8月 | 一部通水開始(全国で81番目) | |
昭和2年3月 | 上水道事業創設工事完了 工事費154万8千円 給水区域内人口52,492人,給水使用人口6,395人,普及率12.2% |
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昭和20年8月 | 空襲(長岡空襲)のため、水道施設が大被害を受ける。 | |
昭和25年6月 | 第1期拡張事業着手 ⇒ 昭和30年3月 第1期拡張事業竣工 | |
昭和30年10月 | 水道局設置 | |
昭和32年4月 | 第2期拡張事業着手 ⇒ 昭和36年3月 竣工 | |
昭和36年4月 | 第3期拡張事業着手 ⇒ 昭和37年3月 竣工 | |
昭和41年4月 | 第5期拡張事業着手 ⇒ 昭和47年3月 竣工 (給水量増加に対応するため、妙見浄水場を新設) |
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昭和50年4月 | 第7期拡張事業着手 | |
昭和54年9月 | 中島浄水場配水塔改装 | |
昭和60年5月 | 中島浄水場が「近代水道百選」に選定される。 | |
平成5年11月 | 中島浄水場休止 | |
平成6年3月 | 中島浄水場廃止(68年間稼動)⇒水利権を妙見浄水場に移譲 | |
平成8年10月 | 配水塔の全面改修実施 改修内容 (1) 配水塔下部コンクリート造の外壁の補修及び塗装 (2) 上部水槽部分のモルタル外壁を完全撤去し、軽量コンクリートパネルに張替え、 外部回廊の交換 (3) 屋根の補修及び塗装 |
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平成8年11月 | 水道タンクのライトアップ設備設置。 | |
平成10年9月 | 配水塔(水道タンク)が国の登録有形文化財に登録される。(県下第2号) | |
平成14年 | ポンプ室棟・予備発電機棟・監視室棟の劣化を防止するため、屋根の防水修理や外壁の欠損部分の補修等を実施。 | |
平成16年3月 | 旧中島浄水場敷地の一部を、水道公園用地として長岡市水道局から長岡市に譲渡。 | |
平成16年4月 | 水道公園オープン。公園として整備され市民の憩いの場に。 | |
平成16年10月 | 中越大震災 | |
平成19年7月 | 中越沖地震 | |
平成21年4月 | 第1回水道公園子どもフェスティバル開催(4月30日) (地元活動団体である「水道長生クラブ」創立30周年記念事業。以後、毎年ゴールデンウィーク期間中に開催。) |
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平成21年10月 | ポンプ室棟及び監視室棟に「ミニギャラリー」開設 (水道長生クラブ創立30周年記念事業) |
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平成23年3月 | 地元の活動団体である「水道タンク友の会」発会 | |
平成23年 | 映画「この空の花―長岡花火物語」のロケ地として選定される ポンプ棟・監視室の扉の再塗装を実施 水道タンク(配水塔)の全面改修を実施→平成24年度完成。 |
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平成24年 | 音楽CDのプロモーションビデオのロケ地となり、水道公園の映像が全国に発信された。 | |
平成25年12月 | ポンプ室棟・監視室棟・予備発電機室棟が、国の登録有形文化財に登録される。 |