第47回(平成26年4月23日)

日本の近代化を支えた鉄道遺産「親不知随道」(糸魚川市)

親不知海岸

「親不知随道」の紹介

 「親不知随道」は、北陸道最大の難所として有名な天険親不知の断崖絶壁を貫通させ、整備された随道です。天険親不知には、断崖絶壁と日本海の荒波が旅人の行く手を阻み壮絶な逸話が数多く残され、悲しい逸話とは裏腹に日本海に沈む夕日とその圧倒的な自然美のコントラストは、今も昔も多くの人を引きつける名所でもあります。  糸魚川市を代表する観光名所にある「親不知随道」は、これまで「老朽化した非採算施設」として扱われてきましたが、「近代化遺産」へと価値観の転換を図り、貴重な財産として活用を図るべく、現在活用方法を検討しています。廃線から53年が経過しますが、断崖絶壁にあるレンガ積みのトンネルの存在感たるや絶大であり、当時の土木工事の英知を語りかけてくれる貴重な土木遺産です。

「親不知随道」の歴史

 親不知随道は北陸線内にあり、明治38年第22帝国議会において敷設が決定しました。明治39年4月から富山・直江津間の実測が始まり、明治40年3月から両端より工事が施工されました。  親不知随道は富山ロ第7、8工区内に位置し、工費は60万円で神戸市の稲場弥吉氏が請け負いました。工事は困難かと思いきや案外速やかに進んだとの記録が残されています。しかし、姫川や名立・能生間の工事の遅延により、大正元年10月に竣工しました。
開削写真   開削写真
明治期の親不知周辺の開削写真

 鉄道網が整備されて以降、当地域では黒姫山から産出される石灰石が北陸一体に輸送され、産業経済のみならず生活文化についても地域の近代化に貢献しました。しかし、昭和40年に複線化となり、貨物や旅客の輸送の役目を終え廃線となりました。廃線後は昭和49年3月30日に日本国有鉄道から青海町(平成17年3月19日に糸魚川市に合併)に無償譲渡され、今日に至っています。
隧道坑口   隧道坑口

現在の「親不知随道」

 平成26年3月31日現在においては一般開放していませんが、糸魚川市は交流人口拡大のため親不知随道の活用を決定しました。平成25年4月25日から平成25年7月31日までの間で第三者被害防止を目的に健全度調査を実施、今後の維持管理に必要な基礎資料を得るとともに遊歩道としての健全度について確認しました。
 なお、今後の活用については、国名勝「おくのほそ道の風景地親しらず」の中核施設、旧建設省指定日本の道百選「親不知コミュニティロード」と「親不知随道」を遊歩道で結び周遊コースとしての整備を平成26年度に予定しています。
 北陸路一の難所「天険親不知」の歴史に鉄道遺産の歴史が加わり、当時を偲ぶ遊歩道として活用の一歩を踏み出そうとしています。
親不知コミュニティロード   親不知コミュニティロード
親不知コミュニティロード(ウェストン座像・如砥如矢)

参考文献

  • 宮脇俊三(1995) 『鉄道廃線跡を歩く』 JTBパブリッシング 96pp.

    基本データ

  • 用途:旧鉄道トンネル
  • 形式:山岳トンネル、レンガ積み
  • 延長:667.82m
  • 幅員・高さ:4,572mm・4,700mm(鉄作乙第4375号形断面)
  • 竣工:大正元(1912)年 ※明治40(1907)年起工
  • 備考:昭和40(1965)年に廃線

    アクセス

  • 北陸自動車道親不知ICより天険コミュニティ広場まで車で4分
  • JR北陸本線親不知駅より天険コミュニティ広場まで車で8分
  • 天険コミュニティ広場から親不知随道まで徒歩7分

    「親不知随道」周辺地図(Google Map)の表示