第10回(平成21年12月28日)
わが国の経済成長を電力供給で支えて50年 奥只見ダム・発電所
(魚沼市・福島県南会津郡檜枝岐村)
新潟県魚沼市と福島県檜枝岐村の境を流れる只見川にある、奥只見発電所は、昭和35年運転開始以来、日本経済の電力需要を支え続けてきました。平成22年で50周年を迎えます。建設当時を振り返りながら、奥只見ダムを紹介したいと思います。
日本経済を支えた大規模貯水池式水力
「もはや戦後ではない」と経済白書がうたった昭和30年の日本経済は、確かにいろいろな指数が戦前の水準を超えていました。26〜30年の5年間の実質年間成長率は6.5%、そして30〜35年のそれは8.7%に達しました。さらに35〜40のそれは9.7%に達しました。
電力の供給もその例外でありませんでした。当時の電力需要の伸びは経済成長率の伸び率よりやや高めで、30〜35年の伸び率をみても、それは10%をやや上回るハイスピードでした。世の中は、需要に合わせ建設期間の短い火力発電所を開発し、電力供給力の中核としての地位を占めていきました。いわゆる「水主火従」から「火主水従」への転換です。
こうしたエネルギーの変動傾向は、日本のみならず、先進各国共通のものでした。しかし、電源開発株式会社(J-power)は、佐久間ダムに続き、大規模な水力開発を進めていました。大規模貯水池式水力の存在価値は、火力発電所と組み合わせることによって、電力系統の経済的運用が可能となります。すなわち、火力をベース・ロードに、水力をピーク・ロードに使うというパターンが定着してきました。かくして大規模水力は、火力との組み合わせの中で、新しい役割を担うことによって、新たな脚光を浴びることになりました。
このような中で、J-powerは奥只見発電所という大規模貯水池式水力の建設を開始しました。
魅力あふれる只見川
奥只見ダムが造られた只見川は、雨と雪にめぐまれ、わが国屈指の豊かな包蔵水カをもつ有力な電源地帯として、かなり古くから注目されていました。しかしそのわりには開発は進みませんでした。戦前の開発は、工事のやりやすい下流から徐々に進められましたが、東北電力の宮下発電所でストップして、それより上流へは入り込めませんでした。
理由は名にしおう豪雪地帯であり、文宇どおりのV字峡谷で道路らしい道路もなく、資材や機器の輸送が困難なことにありました。
しかし、只見川には豊富な降水量という大きな魅力があります。年間降水量は2,500〜3,000mmとわが国有数で、うち約半分は冬期の降雪です。只見川の水の流れ方は、冬期の降水量が雪というかたちで流域に自然蓄積され、それが融雪期を迎えて、一気に流れ出してきます。したがって、こうした大自然の営みをダムによって調整すれば、電カの需給が窮屈になったときに流量を増やして発電し、需給がゆるめば流量を減らし、水のもつエネルギーを貯水池に温存しておくことができることになります。
もう一つの魅力は、落差が大きく取れる地形です。源流の尾瀬沼は標高1,660m、尾瀬ケ原を経て北流します。そして奥只見(標高750m)、大鳥(同550m)、田子倉(同500m)の各地点を過ぎてから、流れを東に転じて会津盆地に向かいます。その間にも好地点が次々に連なり、阿賀野川に合流しています。
奥只見発電所の建設
■ 伝説の地・奥只見
奥只見ダムの湖底に沈んだ史跡の中で、もっとも有名なのが銀山平(ぎんざんだいら)です。いまから300年余り昔、湯之谷郷の百姓・源蔵が銀鉱を発見、ときの徳川幕府が本格的に採鉱した跡です。湯之谷村(現魚沼市)企画観光課が出した『銀山平―伝説と史実』というパンフレットによれば、「尾瀬沼」や「枝折(しおり)峠」の名の由来や、江戸時代に銀山の採掘が行われ、この地域がにぎわったことなど、興味深い記録が残っています。
銀山の中心地は須原口(すはらぐち)で、ここに本陣が置かれました。最盛期には大変なにぎやかさで、元禄4年(1691)芋川宿から銀山に送り込まれた米が5,736俵、人夫の数は白峰銀山1万3,370人、上田銀山1万人余と記録されています。
採鉱は明歴3年(1657)に始まり、途中2回の休山期間がありますが、安政6年(1859)に閉山するまで、かなり寿命の長い銀山でした。しかし、最後は悲劇的でした。地下坑を掘り進んでいる最中、誤って只見川の川底直下を掘り抜き、水がいっきょに坑内に流れ込んで300人の命が奪われ、閉山の運命となりました。いまも買石原(かいしっぱら)に死者を弔う供養塔が残っています。
■ 三つの不安
ダム地点は只見川本流と北ノ岐川の合流点から下流へ1.5km、ここに高さ157m、頂長480m、コンクリート体積163万立方mというダムを造る計画です。有効貯水容量4億5,800万立方mは、当時わが国最大、出力36万kWも佐久間ダムの35万kWをしのぐものです。
果たしてこのような巨大なダムを人跡未踏の地に造れるかどうか、技術陣は佐久間で自信をつけつつあったものの、不安がなかったわけではありません。第一の不安は、工事現場の標高が600〜800mもあり、わが国屈指の豪雪地帯だという点にありました。第二は、セメント、鋼材、木材などの工事用資材と各種の機器、合計40万tを超える物資を上越線小出駅からどうやって運ぶかです。第三は、160万立方mにのぼるコンクリートに使用する骨材を、どうやって調達するかでした。
第一の不安については、いわゆる越冬隊が実地観測をしました。昭和30年12月に現地入りした越冬隊は、翌年の融雪期まで頑張りました。最低気温が氷点下20度近くなることもしばしばという酷寒の中で気象観測を続けた結果、報告はもちろん「建設可能」でした。
第二の不安に対しては、小出〜折立間(10km)の既設県道の大改修と、折立〜奥只見間(22km)に工事用道路(うち18kmはトンネル)を新設することを決断、不安を一挙に解消しました。
第三の不安は、入念な調査や試験の結果、原石山の確保、クラッシングプラントの整備、上流での堆積砂れきの発見などにより、すべて解消しました。さらに加えるなら、岩盤も予想以上にしっかりしていました。
この工事のポイントは、やはり工事用道路でした。標高1,100mの枝折峠を18kmのトンネルでぶち抜き、小出〜ダム地点を1時間でつないだことにありました。
■ 雪との闘い
昭和28年12月に新設輸送道路工事を着工し、並行して本工事に対する調査、準備工事に着手しました。工事は困難を極めました、本工事着手前にして54人の犠牲者を出すに至りましたが、このうち雪崩事故によるものが15人ということからも、この工事がいかにきびしい自然との闘いであったかがわかります。
全長22kmにわたる輸送道路は、32年11月に完成しました。この間、ダムや発電所などの本工事は、同年7月から全工区にわたって着工されています。
さしもの難工事も、やがて実りの秋を迎え、待望の第一次湛水が35年3月に始まり、12月には24万kWの運転を開始しました。36万kWの運転開始したのは36年7月。一方、ダムコンクリートの打ち込みを終わり、洪水吐ゲートを取り付けたのが同年12月でした。このように奥只見の建設は実に6年もの長い年月を要しました。工事用道路の取り付けに3年を要したとはいえ、完成は予定よりも大幅に遅れました。しかし、このことは工事そのものが非常に難工事だったことを物語る以外のなにものでもありません。
ここで特筆しておきたいことは、ダム建設に不可欠なケーブルクレーン、骨材プラント、バッチャープラントなどの仮設プラント類が、当時のわが国技術の粋を集めた国産品であり、これらの製作、据え付けによって国内メーカーは飛躍約な自信を得るに至り、その後の産業機械工業の発展に多大な貢献をしたことです。
また、コンクリートにフライアッシュをペースト状にして投入する新しい技術も確立し、この業績により昭和36年度の土木学会吉田賞を得たこと、わが国初の大規模地下発電所を建設したことなど、当時の土木技術の進歩に与えた影響は大きいものでした。
奥只見発電所の再開発
奥只見発電所が運転開始して38年後の平成11年7月から、奥只見発電所増設工事が開始されました。これは奥只見発電所のピーク対応効力を高め、中長期の電力需要の伸びに対応するためです。発電出力が20万kW増設され、合計発電出力56万kWと一般水力としては国内最大出力の発電所となりました。建設工事機関としては、我が国初のISO14001の認証を受け、工事中の稀少猛禽類への対応、改変地域の自然環境復元等の対応に努力し、平成15年6月に運転を開始しました。
これらの自然環境保全対策と技術課題の克服、改変地域の自然環境復元等の業績により、土木学会賞の「技術賞」および「環境賞」を受賞しています。
尾瀬への入口 奥只見
奥只見シルバーライン(工事用道路)は、昭和44年よりJ-powerから新潟県に管理が移管され、現在は「県道50号小出奥只見線」として年間10万台以上が利用する観光道路となっています。路面は湧水等で濡れており滑りやすいため、通年でバイクの通行が禁止となっています。冬季は雪のため全面通行止めになります。
ダムサイト付近からは銀山平、尾瀬口との往復とダム回遊の3コースの遊覧船が運航しています。年間10万人程の利用者があります。最近、尾瀬方面の交通手段として利用が急増してきています。
シルバーラインの途中からは銀山平に抜けることができます。銀山平には、銀山平温泉があり、開高健氏が滞在したことで有名です。「河は眠らない」の碑があります。ダム付近には、春スキーで有名な「奥只見丸山スキー場」があります。このスキー場は年末と春先の営業となっており、冬季は豪雪のため閉鎖される珍しいスキー場です。また、秋口の紅葉時期には、観光客によりシルバーラインが渋滞することもあります。
奥只見ダム左岸側には、奥只見電力館があります。エネルギーや発電の仕組み、奥只見発電所のあらまし等、楽しみながら理解できるよう展示されています。
基本データ
左岸所在: 新潟県魚沼市湯之谷芋川字大鳥
(右岸:福島県)
位 置: 北緯37度09分13秒,東経139度14分58秒
河 川: 阿賀野川水系只見川
目 的: 発電
型 式: 重力式コンクリート
堤 高: 157m
堤 頂 長: 480m
堤 体 積: 163.6万立方m
流域面積: 595.1平方km
湛水面積: 1,150ha
総貯水容量: 6億100万立方m
有効貯水容量: 4億5800万立方m
ダム事業者: 電源開発(株)
ダム湖名: 銀山湖(ぎんざんこ)
発電所形式: ダム水路式(奥只見発電所)、ダム式(奥只見(維持流量)発電所)
最大出力: 56万kW(奥只見発電所)、2,700kW(奥只見(維持流量)発電所)
アクセス
自動車の利用:
関越自動車道・小出ICより、国道352号線を湯之谷方面に進み、
魚沼市上折立から奥只見シルバーライン(県道50号線)を進む。
公共交通機関の利用:
JR浦佐駅より、南越後観光バス「シルバーライン経由奥只見ダム行き」終点で下車(夏期のみ運行)。
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