第11回(平成22年1月5日)
天嶮に架かる橋 北陸自動車道・親不知海岸高架橋(糸魚川市)
〜天嶮(てんけん) 親不知・子不知〜
旧街道の一つ北陸道は、江戸時代の五街道、諸街道につぐ脇街道として中山道の関ヶ原から分岐し、越前、加賀、越中を経て越後まで至る街道でした。
「親知らず 子は此の浦の浪枕 越路の磯の泡と消え行く」
壇ノ浦の戦い後、越後国蒲原郡五百刈村(現在の長岡市)に落人として暮らしていた平頼盛のもとへ向かうため、2歳の愛児とともに親不知を通った夫人が、その愛児を波にさらわれてしまった際に詠んだ詩が地名の由来の一つと云われ、古くから交通の難所として知られております。
この難所も明治15年(1882年)断崖絶壁を縫うように新たな道が開削され、翌16年には人の往来が可能となりました。そのときの記念として、親不知の真上にある一枚岩に「如砥如矢(とのごとくやのごとし)」の4文字が刻まれています。その後、昭和に入り車の増加とともに、度重なる崖崩れなどで改良が繰り返され、現在の一般国道8号が昭和33年に完成しました。
わが国で初めて海上インターチェンジを併設した親不知海岸高架橋
日本の屋根といわれる北アルプスの北方が急峻な地形で日本海に落ち込んでいる「親不知・子不知」付近は、糸魚川静岡構造線(フォッサマグナの西端)があり、古くから北陸道の交通の難所と云われていました。また、日本海側特有の北西の季節風が吹き荒ぶ時期は、強風によってもたらせられた波しぶきなどによって、一般国道8号が毎年のように通行止めや渋滞をも余儀なくされることがありました。
親不知海岸高架橋は、北陸自動車道上越インターチェンジから富山県の朝日インターチェンジ間(約74km)にあり、僅かに残る平地部に一般国道8号やJR(旧国鉄)北陸本線があるため、我が国で初めて海上インターチェンジを併設した橋梁として建設しました。
限られた時期、限られた工期の厳しい施工
親不知海岸高架橋は、冬になると日本海が荒れることから比較的気候が穏やかな時期に短期間で施工できるよう、橋脚の施工に我が国で初めて「設置フーチング工法」を採用しました。
「設置フーチング工法」とは、橋脚の基礎部分である"フーチング"を現場で製作しないで、フローティングドッグ(F.D)と呼ばれる台船の甲板上で製作を行い、製作された"フーチング"を現場に運搬して直接設置する工法です。この工法を採用すると、フーチング製作中に現場でのグラブ船浚渫作業、均しコンクリート打込み作業を並行して行うことが可能となるため、フーチング工事にかかる期間を短縮することができます。
フーチングの製作は富山県の富山新港で行い、製作後約10時間かけてタグボートでF.Dを牽引し、現場に到着後、波の穏やかな日を選定して、1300t吊りの大型クレーンにより設置しました。
上部工の架設は、橋脚の工事と同様に気候の穏やかな時期に施工しなければならず、移動架設車による張出し工法、大型移動支保工工法、ステージング工法など当時のPC橋梁架設工法の技術を駆使して橋脚の完成を追いかけるように施工し、最盛期には移動架設車32基、大型移動支保工3基さらにステージング工法がそれぞれ同時施工となる厳しい工程のもと、早朝から深夜におよぶ作業により施工しました。
思いもよらぬ自然の猛威
冬の日本海の荒波にも耐えるように設計、建設した親不知海岸高架橋ですが、予想以上の波浪の影響と、近年の海岸侵食の影響などにより、橋脚を防護するため建設当時に施工した「緩傾斜護岸」が消失し、橋脚やフーチングの損傷が進行してきたため、建設から約20年後「消波護岸」により橋脚の防護を行いました。
供用後の橋に対する維持管理
打ち寄せる荒波によって打ち砕かれた浪しぶきが、コンクリート構造物に付着することで海水に含まれる塩化物が構造物内部に浸透し、内部の鋼材が腐食する"塩害"というものを引き起こします。
"塩害"は、コンクリートのガンともいわれており、そのまま放置しておくと人間の骨にあたる鉄筋が蝕まれて、最悪の場合は「橋の崩壊」という取り返しのつかないことが起きます。
親不知海岸高架橋では、建設当初から塩化物の浸透を抑制させる様々な対策を実施してきましたが、供用後の定期的な調査結果から、予想より早くコンクリート内部への塩化物の浸透が認められたため、供用後においても塩化物の浸透状況や、将来の劣化予測に基づいて、コンクリート塗装などの対策工法を実施しています。現在においても、定期的にモニタリングなどを実施して、構造物の延命化に努めています。
親不知高架橋の高架下を利用した憩いの広場
親不知インターチェンジから新潟寄りに、トンネル工事で掘り出された"ズリ"を使って多目的広場「親不知ピアパーク1988」を、旧日本道路公団と旧青海町でつくりました。ここで一際目を引くのが橋脚に描かれた8枚の大陶壁画です。この大陶壁画は、"人と自然の調和"というコンセプトのもと、「宇宙・都市・山・森・海・空間・大地・大気」をテーマとして世界的に著名なグラフィックデザイナー「粟津 潔」氏が制作したものです。
また、この広場は、「道の駅」にもなっており、世界最大の「ヒスイ原石(102t)」が展示されている翡翠(ひすい)ふるさと館やレストラン、お魚センターなどが併設され、訪れる人たちの憩いの広場となっています。また、天候に恵まれれば、遠く佐渡島や能登半島を見渡せ、夕方になると日本海に沈む夕陽を眺めることができます。さらに、夏は海水浴場となり、休日など県内はもちろんのこと、県外や遠くは関西方面からの家族連れなどで賑わっています。
これからも安全・安心・快適な高速道路を目指して
親不知海岸高架橋が供用して20余年、平成16年の新潟県中越地震、平成19年の新潟県中越沖地震では、震源地から遠く被害がなかったことで、北陸、関西方面からの緊急物資輸送のルートになり、被災地へのスムーズな支援を可能にしました。
最近は、社会資本の一つであるコンクリート構造物の劣化によるコンクリート片の落下事象などが取り沙汰されておりますが、過酷な環境下でも自然と共生しながら安全・安心で快適な高速道路を提供するため、また、災害時の緊急ルートでもある高速道路を末永く維持できるよう適切にモニタリングなどを継続して管理していきます。
参考文献
・決定版 上越ふるさと大百科、2005.7.11、葛ス土出版社
・目で見る 上越・糸魚川の100年、1992.10.29、葛ス土出版社
基本データ
・橋 種: プレストレストコンクリート道路橋
・橋 格: 1等橋(TL−20、TT−43)
・橋 長: 3,373m
・上部工形式: 海中部 PC3、4径間連続ラーメン箱桁橋(標準支間60m、37径間)
砂浜部 PC3、4径間連続中空床版橋 (標準支間30m、44径間)
・下部工形式: 柱橋脚(高さ18.5〜35.0m)
・基礎工形式: 海中部 直接基礎
砂浜部 直接基礎、ケーソン基礎
アクセス
・親不知インターチェンジまでは 新潟西ICから北陸自動車道 173km
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