新潟市街を流れる信濃川に架かる萬代橋は、昭和4年の架橋以来、信濃川を渡る多くの人々の往来を支えてきました。その姿はアーチの美しさと石造りの重々しさが調和し、ゆとりと風格が感じられ、春には歩道に色鮮やかなチューリップの花が飾られるとともに、夏には新潟まつりに訪れる多くの人で賑わいます。昼間は堂々とした力強い姿を見せますが、夜になると橋側灯の淡い光でしっとりと優しい表情に変わります。昭和39年に発生した新潟地震にも耐え抜き、市民の避難や救助、災害復旧に大きな役割を果たしました。美しさと風格、さらに強さをも併せ持つ萬代橋は、新潟市のシンボルとして市民に親しまれ、誇りに思われています。
 昔、信濃川下流域には一つの橋もなく、信濃川に橋を架けることが新潟の将来の発展に必要であると、明治19年に木橋の初代萬代橋が完成しました。現在では萬代橋と書いて「ばんだいばし」との呼び名がすっかり定着していますが、そもそもは「よろずよばし」として命名されたそうです。萬代までも新潟の発展に尽くすように、との願いを込めてつけられました。
 萬代橋の設計には、関東大震災時にアーチ形式の橋に被害が少なかったこと、潮風による腐食への対策等から、鉄筋コンクリートアーチが選定されました。設計は橋梁技術界の権威者田中豊の指導のもと、当時24歳の福田武雄がほぼ一人で行い、手回し計算機しかない時代にわずか5ヶ月で完成させました。萬代橋の6つのアーチは厚さを極力薄くし、大きさを中央から両岸に向かって小さく造ることによって安定感とリズム感を与えています。また、橋全体が描く滑らかな曲線は軽快さを出し、親柱と高欄を同じ高さにすることで河口の広大な風景を遮らないよう配慮されています。
| ※マテリアルロック: | 材料用気閘 | 
| ※マンロック: | 人間気閘。作業室では高圧のもとでの作業となることから、高圧室に出入りする作業員の減圧症予防のために、加圧または減圧を行う出入専用の室 | 
| ※作業室: | 水の侵入を防いで水中部の作業を乾燥状態で行うため、圧縮空気を送って高圧に保たれた室 | 
 信濃川の両岸を結ぶ手段として、萬代橋は大きな役割を果たしてきました。多くの利用に伴い交通量も増え、特に通勤・通学時間帯の渋滞が問題となってきたため、渋滞を減らし市街地中心部へのアクセス向上を図るため、平成14年5月、萬代橋の下流に柳都大橋が開通しました。柳都大橋の開通によって交通量は分散され、渋滞や混雑も減り、バスや自動車の走行時間が短縮されるなど、萬代橋の負担軽減に大きく役立っています。